子どもの感性を磨くためにできること①
【子どもを信じる】
お子さんの感性を磨くにあたっては大前提として、子どもが自分の受け取った感情や感じたことを信じられること、ひいては自分を信じられることが必要になります。自分の子どもを信じることなど当たり前のように思われるかもしれませんが、日本では「謙遜」という独特の態度があるので、意外と見落とされていることも少なくありません。
たとえば、大人同士で話しているときに、「うちの子は出来が悪くて・・・」と口走ってしまったり、洋服を買ってあげようと選んでいるときに「この子は地味な顔立ちだから華やかな服は似合わない」などと、つい子どもの前で言ったりしていることはないでしょうか。
このようなことを言われ続けて育った子どもは、自信を持つことが難しくなってしまいます。
他にも、子どもの前で他の子どもたちと比較したり、子どもが気にしていることを人前で口走ったり、子どもが怯えてしまうほど叱ったりするようなことも、子どもを信じることとは対照的な振る舞いです。
例えば、「モアナと伝説の島」のあるシーンを用いて説明させていただきます。
モアナが育ったモトゥヌイでは、島を囲む「珊瑚礁より先の海に出てはならない」という掟があり、彼女は幼少期から抱いていたサンゴ礁の先への好奇心を抑えて暮らしていました。
ところがあるとき、食糧難が島を襲います。
島に伝わる伝説の通りであれば「女神に心を返せばこの危機を乗り越えられるかもしれない」、そう考えたモアナでしたが、父トゥイは娘を心配して海へ出ることに反対します。
一方で、モアナの良き理解者だった祖母のタラ、そしてタラが病に倒れたあとは母シーナがモアナを後押しします。
そう、彼女たちはモアナが島のために果たす役割をずっと一貫して信じていました。
そして、モアナもそれに応えるのです。
風習や文化の違いはあるでしょうが、日本ではせめて家庭内だけでも、子どもを信じる態度を示してあげましょう。
自信をもって自分の感覚を信じられるように導いてあげることが、感性を磨き、輝かせることに繋がっていくのです。
【無条件ですべてを受け容れる】
「ダンボ」のワンシーンではジャンボはダンボのすべてを受け容れ、大切に想っていました。
赤ちゃんのダンボは、自分を優しく包んでくれたジャンボの行動だけでなく、言葉でも自分が無条件で愛されていることを理解したことでしょう。
たとえダンボの耳がどんな大きさでも、ジャンボにとってダンボを愛することに何の障害でもありませんでした。
このように、子どもはすべてを受け容れてくれる存在があることで、安心して自分の感じるままに行動し、未知の事にもチャレンジしていけるようになります。
このことは子どもが生まれつき持つ自分自身の感性を信じ、あらゆる場面でそれを活かすことの支えになる感性の育成にとっては最も重要なことなのです。
ジャンボの無条件の愛を一身に受け、自分を信じ、大切に思えることができたダンボは紆余曲折ありながらも、くじけることはありませんでした。
また、自分が受け容れられてきたように他者にも寛容だったダンボ。
ネズミのティモシーの助言を受け容れ、ダンボは自分の大きな耳を活かして空を飛ぶことに挑戦し、そして成功します。
その潜在能力を開花させたのです。
やがてサーカス団のスターになるダンボの成長は、まさにジャンボの愛が礎となり、感性や能力の向上、自分を支えてくれた仲間との良好な関係によってもたらされたものといえるでしょう。
皆さんがまずできることは、お子さんを信じ、そしてすべてを無条件で受け容れること。
親に愛されたくない子どもなどいないのですから。
【いろいろなことに挑戦させる】
例えば、「塔の上のラプンツェル」のあるシーンを用いて説明させていただきます。ついに塔を出たラプンツェルは、自分の目的を叶えるまでの道中、森のレストランで唄い、広場の床に絵を描き、村人と踊りを楽しんでいました。
彼女が塔の中で毎日行っていたことは、それぞれのスキルを磨いただけでなく、出会った人々を喜ばせ、魅了することにも貢献しました。
その背景には、幼いころから自由が制限された環境下にあっても、気の向くままにいろいろな遊びに親しむことで磨かれた感性があったからだと私は考えています。
世界的なファッションデザイナーで、書や絵画などのマルチな才能を発揮されているコシノヒロコさんは仕事で多忙だった母親の綾子さんの方針で、幼少期から書道、茶道、日本舞踊、ダンスなど実に13もの習い事に通われていました。
現在まで続いているのは長唄三味線のみだそうですが、コシノさんはこうした異分野の多くの経験が現在の活動に役立っていることを認められており、子ども時代から感性を磨くことの大切さを実感されていると言います。
このように、多様な習い事を通じて感性を磨くことは芸術家としての才能の発揮だけに求められるものではありません。
感性はどのような職業でも欠かせないものです。
ですから、お子さんには関心の赴くまま、いろいろな習い事をさせてあげるのもひとつの方法ですし、美術館や博物館、公民館や大学などで開催されている無料のワークショップを上手く活用して、ジャンルの異なるいろいろなことに挑戦させてあげることもできます。
ここで最も大切なのは、あくまでいろいろな機会を提供して子どもの五感を刺激してあげることで、長続きするかどうかは重要ではありません。
ただただ、子どもとして遊ぶ時間を大切にすることが、豊かな感性を育てるために重視されるべきことです。
豊かな感性は各分野で才能を発揮し、良好な人間関係を気づく礎になります。
一方で、感性教育の観点では、コシノさんのように習い事が子どもにとって「楽しい遊び」になっていればよいのですが、「ただただ、子どもとして遊ぶ時間」を犠牲にするほど、早期教育に躍起になることは望ましくありません。
ですから、例えばラプンツェルがゴーテルに絵具を頼んだように、まずはご家庭でお子さんがやりたいことをすぐに行動に移せるように必要な道具を手に入れてあげたり、既に持っている道具を使いやすくジャンル分けしてあげたりするような環境づくりから始めることでもよいでしょう。
するとラプンツェルのように、お子さんの気の向くままの、様々な挑戦を促すことができるのです。
【たくさんの本物に触れさせる】
ここでいう本物とは、時代や国境を超えて人々に長年にわたり愛されるなど「一流」として評価されているものです。「アナと雪の女王」に出てくる姉妹が暮らす城内には、肖像画や風景画などの数々の絵画が飾られています。
そして、幼少期のアナは絵画の中の人物に話しかけ、成長したアナは姉の戴冠式の日に久しぶりに城門が開く喜びを、絵画の情景に入り込み、その中の人物になりきったそぶりで表現しています。
王国の城にあるものですので、いずれも名作と思われますが、このようにいろいろな名画に触れること、そして深く作品世界と親しむことで本物のを生んだ作者の感性を感じ、心を動かすことが出来れば作者の感性に近づくことができます。
これが感性を磨くことに繋がるのです。
どのような分野においても本物、あるいは一流とされる物事には研ぎ澄まされた感性による細部へのこだわりが宿っています。
逆に、他とは一線を画すものを多くの人が感じるからこそ、本物であり、一流とも言えます。
本物に触れるということは、そんな感性の仕事に触れるということであり、ジャンルに縛られないということは、いろいろな種類の感性やこだわりに触れるということでもあります。
これがセンスと言われるものや、表現の引き出しを増やすといった感覚的な能力の可能性を広げ、すなわち感性を磨くことに繋がるのです。
ですから、お子さんには美術館や映画館、音楽会、読書会などで多くの名作に触れる機会を積極的に作ってあげること、スポーツ観戦に行って最高峰の技を見せてあげること、また見た目にも美しい料理を食べさせてあげることなどで、ぜひ少しでもアナのような経験をさせてあげたいものです。
そもそも、本物を知らなければ、いざ自分がそれに近づこう、表現しようと思っても遠回りをすることになるでしょう。
かつてノーベル物理学賞受賞者が語ったように、「おいしい料理を知らなければ、それを作るのは難しい」ということなのです。
【子どもの好奇心を大切にする】
「リトル・マーメイド」に登場する人魚のアリエルは、一目惚れした人間の王子エリックが暮らす地上の世界に強い好奇心を抱いてしまいました。好奇心を持つということは、それに対して特に注意を向けて出来るだけ多くの情報を得ようとすることです。
五感から得られるものはもちろんのこと、フィーリングのように目に見えないものまで感じようとするには、自ずと感覚的な能力を研ぎ澄ませる必要があるため、それらが感性を磨くことに繋がっていくのです。
のちに「美声と引き換えに3日間だけ人間になる」という契約を魔女と結んだアリエルが、言葉を失った中でも感情や場の空気を感じ取ることで、王子とのコミュニケーションを図ることができたように。
そもそも難しく考えなくても「何かを知りたい」「何かができるようになりたい」という積極的な欲求は、感性を育むうえでプラスに作用することは想像に難しくないと思いますし、トップアスリートやノーベル賞受賞者の中には「好奇心をもつことは感性を磨くために欠かせない」と言い切る方々もおられます。
幼い子どもは道を歩いているときに、かわいい野鳥やきれいな草花を見つけたり、カッコいい車を見かけたりするなど何か気になるものが目に留まると、それを指さして周囲に教えてくれることがあります。
そんなとき、子どもはそれに興味を持ち、好奇心を示したことになります。
そして、興味の対象に近づいたり、触ったりしようとするものです。
このときに大切なのは、「きれいだね。あれはなんだろう?」などと話しかけてあげながら、周囲が子どもの好奇心に共感を示してあげることです。
すると、子どもは芽生えた好奇心を満たすべく行動するようになるでしょう。
自分で調べたり、もっと誰かに訊いたりというように。
ところが、もしそばにいる親が、子どもの興味に対して関心や共感を示さなかったら・・・と考えると、しょんぼりしてしまった子どもの姿が想像できるはずです。
それは子どもをがっかりさせるだけではなく、感性を磨くという点でもかなりの損失です。
そのくらい子どもの好奇心を邪険にするべきではないのです。
また、好奇心を抱く対象は三者三様ですから、まずはお子さんの関心が向いている方向を見定めることも必要ですが、何に対してもなかなか興味を示さないというケースもあります。
もし、好奇心が少し乏しいと感じられる場合は、できるだけ多くの機会を提供して、お子さんの好奇心を刺激してあげることが必要でしょう。
一方で、砂遊びばかりしていた園児が、のちに砂の研究者になった例もあり機会はたくさん作っても、あとは本人の好奇心に任せることが大切です。

子育て